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横浜地方裁判所 昭和49年(ワ)1503号 判決

原告

藤野正人

被告

中川浩二

ほか二名

主文

被告中川浩二及び被告徳永登は、原告に対し、各自、金二七四万六〇二八円及びこれに対する昭和四九年一〇月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告株式会社田中建設に対する請求並びに被告中川浩二及び被告徳永登に対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告と被告中川浩二及び被告徳永登との間においては、原告に生じた費用の五分の一を右被告らの負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告株式会社田中建設との間においては、すべて原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(一)  被告らは、原告に対し、各自、金一八〇〇万円及びこれに対する昭和四九年一〇月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する各被告の答弁

(一)  原告の請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故(以下、本件事故という。)の発生

昭和四九年一月二〇日午後四時二〇分ころ、横浜市磯子区洋光台五丁目三番一号先十字路交差点(以下、本件交差点という。)において、日野町方向から洋光台六丁目方向に向かい南進して本件交差点に進入した被告中川の運転する普通乗用自動車(品川ふ一一三四号。以下、中川車という。)の前部と、港南台方向から洋光台駅方向に向かい東進して本件交差点に進入した被告徳永の運転する普通乗用自動車(多摩五五せ四七五七号。以下、徳永車という。)の左側後部が衝突した。

(二)  原告の乗車

本件事故の際、原告は徳永車後部座席右側に乗車していた。

(三)  被告徳永及び被告中川の責任

被告徳永は徳永車を、被告中川は中川車をそれぞれ使用して、自己のため運行の用に供していたから、同被告らは、いずれも、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条本文により、本件事故の結果原告の蒙つた傷害による損害を賠償する責任がある。

(四)  被告会社の責任

1 被告会社は、本件事故当時、横浜市港南区日野町所在の日本住宅公団の港南台団地の建築を請負い、その工事を施行していた。

2 被告会社は、本件事故当時、徳永車を、右工事現場に常時備え置いていたから、客観的には、徳永車は、被告会社の使用車と認識される状態にあつた。

3 徳永車は、被告会社の便宜のためしばしば使用され、被告会社もこれを黙認していた。

4 被告会社は、本件事故当日が日曜日であるのに、右工事の進捗を図るため、その従業員及び下請従業員らに出勤を求め、あわせて徳永車をその日の業務の遂行のため運行の用に供することを余儀なくさせた。

5 被告会社は、本件事故当時、右工事の施工のために、被告徳永及び訴外松崎信義を使用して監督等に当らせ、さらに下請として原告、訴外平川忠男、同金野次男らを使用していた。

6 本件事故は、当日の作業終了後、被告徳永が、原告、訴外松崎、同平川及び同金野を、最寄りの国電洋光台駅まで送り届ける途中で発生した。

7 以上の事実に照らせば、被告会社は、徳永車を、自己のため運行の用に供していたというべきであるから、自賠法三条本文により、本件事故の結果原告の蒙つた傷害による損害を賠償する責任がある。

8 右1ないし6の事実に照らせば、本件事故は、被告会社の被用者である被告徳永による被告会社の事業の執行につき、発生したというべきである。

9 本件交差点は、見通しの悪い交差点であるから、被告徳永には、本件交差点に進入するに際し、あらかじめその手前で徐行して交差道路の安全を確認したうえ進行すべき注意義務があるのに、被告徳永はこれを怠り、時速約五〇キロメートルで本件交差点に進入し、よつて本件事故を発生させた。

10 右8及び9の事実に照らせば、被告会社は、民法七一五条一項本文により、本件事故の結果原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

(五)  原告の負傷

1 原告は、本件事故の衝突の衝撃により、頭部外傷、頸椎捻挫、胸椎捻挫、腰椎捻挫等の傷害を負い、いずれも磯子中央病院において、昭和四九年一月二〇日から同年八月三一日まで二二四日間入院治療を受け、これによりコルセツト型腰椎固定装置の装着により初めて仕事に従事し得る状態になつたが、さらに同年九月一日から昭和五〇年八月五日まで実治療日数二五日間通院治療を受けた。

2 原告の右傷害は、昭和五〇年八月五日、頸椎3、4、5上り症、4、5椎間狭小、前彎消失の結果、頭痛、頸部痛、肩凝、腰部痛等の神経症状を残して治癒したが、右後遺障害は、自賠法施行令別表七級四号に該当し、少くとも同表九級一四号又は一二級一二号に該当する。

(六)  原告の損害

1 入院雑費 金一一万二〇〇〇円

原告は、右(五)の1の入院期間中、一日当り金五〇〇円の入院雑費の支出を余儀なくされ、右金五〇〇円に入院日数二二四日を乗じた金一一万二〇〇〇円の損害を蒙つた。

2 診療費 金五二万三七〇〇円

原告は、右(五)の1の昭和四九年六月二七日から昭和五〇年八月五日までの入通院により、磯子中央病院に対し、診療費として金五二万三七〇〇円の負担を余儀なくされ、同額の損害を蒙つた。

3 休業損害 金三三七万二〇〇〇円

(1) 原告は、本件事故当時、訴外株式会社井手塗装工業所に塗装工として勤務し、一日当り金六〇〇〇円の収入を得ていた。

(2) 原告は、本件事故による傷害のため、右(五)の1の入通院期間中、休業を余儀なくされた。

(3) よつて、原告は、右金六〇〇〇円に昭和四九年一月二一日から昭和五〇年八月五日までの休業日数五六二日を乗じた金三三七万二〇〇〇円の収入を得られず、同額の損害を蒙つた。

4 逸失利益 金一〇一一万九一六八円

建築塗装工の標準賃金は昭和四九年四月に一日当り金八〇〇〇円と定められたので、原告は、本件事故による右(五)の2の後遺障害がなければ、症状固定日である昭和五〇年八月六日以降一日当り金八〇〇〇円の収入を得ることができ、かつ、年間平均三一二日稼働し得たところ、原告は、右後遺障害のため、右症状固定日以降一か月当り金八万円の収入しか得られず、この状態は少なくとも同日以降八年間継続する。よつて、その間後遺障害によつて失つた得べかりし利益は、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して現価を求めれば、別紙計算表(1)のとおり、金一〇一一万九一六八円となり、原告は同額の損害を蒙つた。

5 慰藉料 金四一七万円

原告が本件事故の結果蒙つた精神的苦痛を慰藉するには、右(五)の1の入通院につき金二〇八万円、同2の後遺障害につき金二〇九万円の合計金四一七万円が相当である。

6 弁護士費用 金一〇〇万円

被告らは、原告に対し、本件損害賠償債務を任意履行しないため、原告は、弁護士である原告訴訟代理人に、本件訴訟の提起追行を委任し、相当額の報酬債務を負担することを余儀なくされたが、その内本件事故と相当因果関係があり被告らに対し損害として賠償を請求できる部分としては、金一〇〇万円が相当である。

7 損害の填補 金三九万四四〇〇円

原告は、被告中川から金一〇万円の見舞金を、自動車損害賠償責任保険(以下、自賠責保険という。)から休業補償として金二九万四四〇〇円をそれぞれ受領したので、右損害中右合計金三九万四四〇〇円が填補された。

よつて、原告は、被告らに対し、本件事故による損害賠償として、右(六)の1ないし6の合計金一九二九万六八六八円から同7の金三九万四四〇〇円を差引いた金一八九〇万二四六八円につき、金一八〇〇万円及びこれに対する本件事故の後であり、かつ本件訴状副本が被告らに送達された後である昭和四九年一〇月一二日から完済まで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告徳永及び被告中川の認否

(一)  (一)ないし(三)の事実は認める。

(二)  (五)の1の事実は知らない。同2の事実は否認する。

(三)  (六)の事実中、3の(2)及び(3)、4及び5の後遺障害の部分は否認し、7は認め、その余は知らない。

三  請求原因に対する被告会社の認否

(一)  (一)及び(二)の事実は認める。

(二)  (四)の事実中、1、5の内被告徳永の使用関係の部分、6の内訴外松崎、同平川及び同金野を除く部分及び9は認め、2ないし4、7、8及び10は否認し、その余は知らない。但し、被告徳永は、現場主任補助者である。

(三)  (五)及び(六)の事実はすべて知らない。

四  被告会社の主張

(一)  被告会社は、その被用者の所有する自動車を被告会社の業務に使用することを禁止しており、被告徳永に徳永車による下請負人らの送迎を命じたことはない。

(二)  原告は、徳永車に乗車する際、右(一)の事実を知つていた。

(三)  被告会社は、本件事故当時、乗用車七台、貨物車一〇台を保有して業務の用に供していたから、ことさら徳永車を業務の用に供する必要はなかつた。

(四)  被告会社は、本件事故当時、下請負人らの工事現場への通勤につき、各自自由に行うものとし、その送迎をしていなかつた。

(五)  被告徳永は、本件事故当時、通常は工事現場に宿泊し、帰宅の際は被告会社から交通費の支給を受けており、被告会社は、被告徳永が徳永車を運転使用していることを知らなかつた。

五  被告会社の主張に対する認否

すべて否認する。

六  被告徳永及び被告会社の抗弁

被告徳永は、本件事故当日の作業終了後帰宅しようとしたところ、原告の雇主である訴外平川和男に懇請されたため、原告らを好意で同乗させた。

七  被告徳永及び被告会社の抗弁に対する認否

否認する。

八  被告徳永の抗弁

原告は、徳永車及び中川車の自賠責保険から、金一六〇万円を受領している。

九  被告徳永の抗弁に対する認否

知らない。仮に右支払いがなされていても、それは昭和四九年六月二六日以前の磯子中央病院に対する診療費として、同病院に支払われたものである。

第三証拠関係〔略〕

理由

第一本件事故の発生について

請求原因(一)及び(二)の事実については、いずれも当事者間に争いがない。

第二被告中川及び被告徳永の責任について

請求原因(三)の事実については、原告と被告中川及び被告徳永との間に争いがない。以上の事実によれば、被告中川及び被告徳永は、いずれも自賠法三条本文により、本件事故の結果原告の蒙つた傷害による損害を賠償する責任がある。

第三被告会社の責任について

一  被告会社が本件事故当時横浜市港南区日野町所在の日本住宅公団の港南台団地の建築を請負い、その工事を施工していた事実、被告会社が当時右工事の施工のために被告徳永を使用して監督等に当らせていた事実及び本件事故が、当日の作業終了後、被告徳永が原告を最寄りの国電洋光台駅まで送り届ける途中で発生した事実については、いずれも原告と被告会社との間に争いがない。

二  しかし、以上の事実から被告会社が徳永車を自己のため運行の用に供していたということができないことはいうまでもなく、他に、徳永車が右工事現場に常時備え置かれていたとか、これが被告会社の便宜のために使用されていたとかの、被告会社が徳永車の運行につき何らかの支配や利益を有していたというべき事実を認めるに足りる証拠はない。かえつて、証人北島勝之の証言及び被告徳永本人の供述によれば、被告会社がその被用者の所有する自動車を許可なく被告会社の業務に使用することを禁止しており、被告徳永は通常は右工事現場の近辺に設けられた宿舎に宿泊し、被告徳永の肩書住所地に帰宅の際には交通費の支給を受け、徳永車を被告会社の業務に使用するよう指示されたことも使用したこともない事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、本件事故の際の運行の実状は後記三に認定のとおりであるから、結局、被告会社が徳永車を自己のため運行の用に供していたということはできず、被告会社は本件事故につき自賠法三条本文の責任を負うということができない。

三  右一の事実に照らせば、被告徳永の本件事故当時の徳永車の運転が被告会社の業務として又はこれに密接に付随してなされたと推認する余地がある。しかし、被告徳永本人の供述によれば、被告徳永が、たまたま本件事故の前日である昭和四九年一月一九日帰宅した後、自宅に保管していた徳永車を運転して帰任し、本件事故当日は日曜日であつたこともあり通常より早めに業務が終了したので、その後、同僚である訴外松崎信義を誘つて鎌倉方面にドライブに出掛けようとしたところ、被告会社の下請の職人として右工事現場の作業に従事し被告徳永の監督を受けていた原告らを最寄りの国電洋光台駅まで送り届けて欲しい旨頼まれ、それほど遠回りにもならないためこれを快諾して原告らを同乗させたうえ、訴外松崎と共に徳永車で出発し、本件事故に至つた事実を認めることができる。証人平川和男の証言(後記採用しない部分を除く。)によれば、原告らを直接使用していたのが訴外平川和男で、同人が被告徳永に右便乗を頼んだ事実を認めることができる。さらに、証人北島勝之の証言及び同平川和男の証言(後記採用しない部分を除く。)によれば、被告会社の下請の職人らは、通常、被告会社により送迎されていなかつた事実を認めることができる。以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。又、本件事故当日が日曜日であることは前認定のとおりであるが、特別の勤務体制を採つたため日曜日まで作業することとなつた事実を認めるに足りる証拠はない。以上の事情に照らせば、訴外平川が被告徳永に原告らの同乗を依頼し、被告徳永がこれを快諾したのは、被告徳永が被告会社の被用者であつたからではなく、丁度被告徳永が徳永車で出掛けるところであつたからであり、たまたま被告徳永が被告会社の被用者であつたに過ぎないというべきものであつて、右一の事実によつても、被告徳永の本件事故当時の徳永車の運転と被告会社の業務との関連を推認することはできない。他にこれを認めるに足りる証拠はない。そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、被告会社は本件事故につき民法七一五条の責任を負うということができない。

第四原告の好意同乗について

前記第三の三に認定の事実によれば、被告徳永が徳永車に原告を同乗させたのは、全くの好意からであるといわざるをえない。しかし、原告本人の供述(後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、原告が、徳永車に乗車の際、自ら同乗を頼んだのではなく、誰からか乗車を指示されたと認識し、被告徳永の好意を認識しないまま同乗した事実及び右乗車の指示をする者としては、監督者である被告徳永又は訴外松崎か、直接の使用者である訴外平川しかいないが、原告はその内の誰とも特別の人格的結びつきはない事実を認めることができる。これらの点に照らせば、原告は右指示を業務に関連したものと認識していたと推認するほかないのであつて、以上の事情に徴すると、未だ原告の蒙つた損害の内の一部を原告自身に甘受させなければ被告徳永との関係で信義則に反するとも断じ難い。従つて、被告徳永の好意同乗の抗弁は採用しない。

第五原告の損害について

一  以上の説示のとおり、原告は、被告中川及び被告徳永に対しては、本件事故による傷害の結果蒙つた全損害の賠償を請求することができるが、被告会社に対しては、何の請求もすることができない。そこで、以下、原告と被告中川及び被告徳永との間においてのみ、原告の蒙つた損害について判断することとする。

二  いずれも成立の真正につき原告と被告中川及び被告徳永との間に争いのない甲第二号証、第一六号証の四及び第二六号証並びに原告本人の供述(後記採用しない部分を除く。)によれば、原告が、本件事故の衝突の衝撃により、頭部外傷、頸椎捻挫、胸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を負い、いずれも磯子中央病院において、昭和四九年一月二〇日から同年八月三一日まで二二四日間入院治療を受け、さらに同年九月一日から昭和五〇年八月五日まで実治療日数二五日間通院治療を受けた事実を認めることができる。さらに、成立の真正につき右当事者間に争いのない甲第二九号証及び原告本人の供述(後記採用しない部分を除く。)によれば、原告が、昭和五〇年八月五日、右磯子中央病院により、頸椎3、4、5上り症、4、5椎間狭小、前彎消失の結果頭痛、頸部痛、肩凝、腰部痛等の神経症状を残して治癒したと診断された事実を認めることができる。右各認定に反する証拠はない。

三  しかしながら、原本の存在及び成立の真正につき原告と被告中川との間において争いがなく、原告と被告徳永との間において弁論の全趣旨により原本が存在し、それが真正に成立したと認められる乙第一号証によれば、原告は、右退院時である昭和四九年八月三一日当時、コルセツト型固定装置の装着により仕事に従事しうる状態にまで回復した事実を認めることができる。さらに、成立の真正につき原告と被告中川との間において争いがなく原告と被告徳永との間において弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第三号証及び原告本人の供述(後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、原告が、同年一〇月一八日当時、右装着をしなくても軽作業に従事しうる状態にまで回復した事実を認めることができる。以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、右各事実に照らせば、原告は、本件事故の傷害により、昭和四九年一月二一日から同年八月三一日までは入院治療のため休業を余儀なくされたが、同年九月一日から同年一〇月一八日までは従前の労働能力の三〇パーセントを、同年一〇月一九日から昭和五〇年八月五日まではその一五パーセントをそれぞれ失つたと推認することができる。右推認を覆えすに足りる証拠はない。しかし、それ以上の労働能力の喪失については、これを認めるに足りる証拠はない。原告の後遺障害の程度については、前記認定の診断によつてもこれが自賠法施行令別表各級のいずれに該当するかを確定することはできず、右診断により原告主張のこれが自賠法施行令別表七級四号に該当するとか、少くとも九級一四号又は一二級一二号に該当するとの事実を認めることはできない。他に右事実を認めるに足りる証拠はない。しかし、右診断に照らせば、原告が、右後遺障害により、昭和五〇年八月六日から二年間、従前の労働能力の一〇パーセントを失つた状態が継続するに至つたと推認することができる。右推認を覆えすに足りる証拠はない。又、原告本人の供述(後記採用しない部分を除く。)によつても、それ以上の労働能力喪失の程度及び継続期間を認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

四  そこで、原告の蒙つた損害の金額につき判断する。

(一)  入院雑費 金一一万二〇〇〇円

右二に認定の入院の事実に照らせば、原告がその期間中相当額の入院雑費の支払いを余儀なくされて損害を蒙つた事実を推認することができ、右金額としては、当時一日当り金五〇〇円を要したことは公知であるから、入院雑費は、右金五〇〇円に入院日数である二二四日を乗じた金一一万二〇〇〇円となる。

(二)  診療費 金五二万三七〇〇円

成立の真正につき原告と被告徳永及び被告中川との間に争いのない甲第二五号証によれば、原告が、前記磯子中央病院に対し、昭和四九年六月二七日から昭和五〇年八月五日までの診療費として金五二万三七〇〇円の負担を余儀なくされ、同額の損害を蒙つた事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。

(三)  休業損害 金八三万一五九九円

1 原告は、本件事故当時、訴外株式会社井手塗装工業所に塗装工として勤務していたと主張するが、原告本人の供述中右主張に符合する部分は他の部分に照らして採用せず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。かえつて、原告本人の供述(前記及び後記採用しない部分を除く。)によれば、原告が、本件事故当時、経験三年程度の塗装工であつて、最初の一年ほどは一定の親方について修業したが、その後はフリーと称して職場を転々とし、本件事故前の昭和四八年一二月下旬から訴外平川の下で本件工事現場で稼働していた事実を認めることができる。右事実に照らせば、証人平川和男の証言及び原告本人の供述(前記及び後記採用しない部分を除く。)により真正に成立したと認められる甲第五号証によつても原告の事故前の給与を認定することはできず、甲第四号証については、原告本人の供述(前記採用しない部分を除く。以下同じ。)によれば、これが本件事故による損害額算定の資料とするため原告が何の基礎資料もなく作成した昭和四九年度の特別区民税、都民税申告書であると認められるから、これによつても原告の事故前の収入を認定することはできない。又、原告の右のような経歴に照らせば、原告が通常の塗装工の標準賃金を得ていたとするのも躇躊を覚えざるをえず、原告本人の供述中には、本件事故当時の日当が金六〇〇〇円であつたとの部分が、証人平川和男の証言中にはこれが金六五〇〇円であつたとの部分があるが、いずれも裏付けがなく心証を形成するには足りないから採用しない。他に原告が本件事故当時得ていた収入を認めるに足りる的確な証拠はない。

2 ところで、原告本人の供述及びこれにより真正に成立したと認められる甲第三一号証によれば、原告が、本件事故後の昭和五〇年九月から一一月まで訴外有限会社清水塗装所においてアルバイトとして稼働して一か月金八万円の収入を得ていた事実を認めることができる。右認定に反する証拠はない。そこで、これが、前記認定のとおり従前の労働能力を一〇パーセント失つた状態での収入であり、かつアルバイトとしての稼働であることを考慮し、さらに、昭和四九年当時と昭和五〇年当時の給与の水準が異なつていることを考慮して、右事実に照らし、原告の本件事故以前の収入を一か月金九万円として休業損害を、又これを一か月金一〇万円として後遺障害による逸失利益をそれぞれ算定することとする。

3 右三に認定のとおり、原告は本件事故の傷害の結果昭和四九年一月二一日から同年八月三一日まで二二三日間にわたり入院加療のため休業を余儀なくされ、同年九月一日から同年一〇月一八日まで四八日間にわたり従前の労働能力の三〇パーセントを、同年一〇月一九日から昭和五〇年八月五日まで二九一日間にわたりその一五パーセントを失うことを余儀なくされたから、その間の休業損害は、別紙計算表(2)のとおり、金八三万一五九九円となる。

4 原告本人の供述によれば、原告が、右3の内退院後の期間何ら職に就いていなかつた事実を認めることができるが、同供述によつてもこれが本件事故の傷害の結果余儀なくされたものであると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(四)  逸失利益 金二二万三一二九円

前記三に認定のとおりの後遺障害による労働能力の喪失と右(三)の2に認定の原告の後遺障害固定当時の収入とを基礎として、ライプニツツ式計算法により原告が右後遺障害により失つた得べかりし利益の現価を求めると、別紙計算表(3)のとおり金二二万三一二九円となる。

(五)  慰藉料 金一二〇万円

原告が本件事故により蒙つた精神的苦痛を慰藉するには、前記二及び三に認定の原告の傷害及び後遺障害の部位及び程度、本件事故の態様その他本件にあらわれた一切の事情を総合勘案すれば、金一二〇万円が相当である。

(六)  弁護士費用 金二五万円

弁論の全趣旨によれば、被告中川及び被告徳永が原告に対し本件損害賠償債務を任意履行しないため、原告が弁護士である原告訴訟代理人に本件訴訟の提起追行を委任し、相当額の報酬債務を負担することを余儀なくされた事実を認めることができ、本件訴訟の経緯及び後記認容額に照らせば、その内原告が被告中川及び被告徳永に対し本件事故と相当因果関係のある損害として賠償を請求できる金員としては、金二五万円が相当である。

第六損害の填補について

一  請求原因(六)の7の合計金三九万四四〇〇円の損害の填補がなされた事実については、原告と被告中川及び被告徳永との間に争いがない。

二  被告徳永は、原告が徳永車及び中川車の自賠責保険から金一六〇万円を受領していると主張する。成立の真正につき原告と被告徳永との間に争いのない丙第一号証、原本の存在及び成立の真正につき右当事者間に争いのない丙第二号証並びに弁論の全趣旨によれば、徳永車の自賠責保険から原告に対し金二九万四四〇〇円が、磯子中央病院に対し昭和四九年六月二六日までの診療費内金五〇万五六〇〇円がそれぞれ支払われ、中川車の自賠責保険から被告中川に対し金一〇万円が、右病院に対し右期間の診療費内金七〇万円がそれぞれ支払われた事実を認めることができる。ところで、右病院に対する支払いの事実に照らせば、原告が右同日までの間の診療費として右病院に対し右合計金一二〇万五六〇〇円の負担を余儀なくされ、これが右支払いにより填補されたと推認することができ、前記第五の四の(二)の診療費はその後のものであるから、右診療費の支払いをもつて前記第五の四に認定の原告の損害の填補ということはできない。さらに、弁論の全趣旨によれば、原告に支払われた右金二九万四、四〇〇円と被告中川に支払われた右金一〇万円の合計金三九万四四〇〇円が、右一の金員であると認めることができるから、結局、前記第五の四に認定の損害の填補としては、右一の金員に尽きることとなる。

第七結論

以上のとおり、原告は、被告中川及び被告徳永に対し、前記第五の四に認定の損害合計金三一四万〇四二八円から前記第六の填補額金三九万四四〇〇円を差引いた金二七四万六〇二八円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四九年一〇月一二日から完済まで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めることができるから、原告の右被告らに対する請求中右部分を正当として認容し、その余の部分は失当であるから棄却し、かつ原告の被告会社に対する請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 江田五月)

(別紙) 計算表

(1) (8,000円×312日-80,000円×12か月)×6.588=10,119,168円

(2) 90,000円×12か月×223日/365日+90,000円×12か月×0.3×48日/365日+90,000円×12か月×0.15×291日/365日=831,599円

(3) 100,000円×12か月×0.1×1.85941043=223,129円

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